全てのことには

okaden2007-08-19

 
全てのことには意味があるとするならば
いま私が腹をたてているコレには
果たしてどういう意味があるのだろうか

私はずえったいそんな人間にはならないぞ
ならないったらならないぞ うぎゃー
 
・・・

などと、その問題について備忘録日記をつけようとしていたところに
先日、突然に思いついたけどうっかり忘れていたことを思い出した。
感情の処理回路には「マニュアル」と「オートマ」があるんだ多分。

自分の処理回路は、全くもってマニュアル車であるからし
自分でギアをチェンジしながら、その状況に対応するよう
あれこれ考えながら、スムーズな環境へ己を導こうとしている。
故に、もんもんと考え身悶える時間と引篭る環境が必要。
 
だがしかし世の中には、生まれながらにオートマ的な思考回路を
持った人がいるもんだ。そんな我が友人をいつも羨ましく見ている。
系でいうと多くの人は0型と思われ(勝手な統計)。
 
マニュアル回路は、問題があるものだと考えていた。
自分の心が平穏になれば、自然とオートマに“成長”してゆくのだ、と。
いつの間にかマニュアルが「未熟」を、オートマが「成熟」を意味するのだ、と。

だがしかし、聞いてみると、生まれながらオートマな人たちは
なぜそのピースな答えに到達するのか理由は解らないようだ。
「いや別に、なんとなく。」が一番多い返答である。
 
生まれながらに成熟しているというのはどういうことか。
そもそも、なぜオートマが成熟。
  
頭の中、たった一人で賑やかに討論しているうちに
到達した「そもそも論」に、自ら途方に暮れる。
 
では、わざわざマニュアル車として生まれた自分には
マニュアル的な思考回路を持つ事に、何か理由があるのでは。
 
そんな風に考えずにはいられない夏の夜。
風鈴の音が涼しげ。