床屋さん

今日は、父が床屋に行きたい、意地でも行くぞと言い張った。
家をスタスタ歩き出てゆくさまを見るのは、実に半年ぶりだった。
しかしやっぱり角をまがったところで力尽き、ペースを落としながら
次の角までやっと到達し、大人しく車椅子に乗った。
 
駅の向こうには、カットだけで660円の格安の床屋ができたのだが
いつだか父は「行ってみたけど、あれはいかん」と語っていた。
今日も、格安床屋の向かいにある、入り口には青い静脈と赤い動脈の線が
クルクル回っている昔ながらの床屋じゃないとだめだという。
 
連れて行ったら、どうやら父はそこの常連だったようで
やあやあ、なんて言いながら、勝手知ったる動きで、赤い散髪椅子に腰掛けた。
気が張っていると、案外体を動かすことができるらしい。
 
店の中の待ち合い椅子に腰掛けて、中をきょろきょろ見ていた。
男の社交場なので居心地がよくないが、何故か少しだけうきうきした。
赤い散髪椅子が4脚、それぞれの前には前屈みで頭を洗うための
流し台が設置されていた。しかもそれは折り畳み式で、
洗髪が始まるまでは、パタンと上に閉じてある。さらに、
バリカンやドライヤーを使うときの電源は、お客さんが座っている
赤い洗髪椅子の背にコンセント差込口があった。非常にモダンだ。
昭和の頃はきっと最新式だったのだろうなと想像した。
 
床屋さんの動作を見てみた。まず、父の髪を霧吹きで濡らし、
バリカンで大まかに刈り、鋏で整え、シャンプーを頭上にて泡立て、
洗髪台で洗い流した。それから、泡をしゃかしゃかして、カミソリを取り出し、
首元、もみ上げ、おでこ、ひげ、と丁寧に剃っていった。
こんなに病人扱いされずに、頭をガシガシ触られたのは久しぶりだろう。
 
そのベテラン床屋さんと父の会話を聞いていて、初めて知ったことがある。
実のところ、お医者さんに何と言われようともやめなかった煙草を、
父は、手術後のあるときからスパッと止めていた。
家族の誰も理由を聞かされていなかったのだが
止めようと思ったのは、そのベテラン床屋さんの
「煙草はいけないよ、あれはいけない」という言葉からだったという。
 
半年ぶりに散髪に来た姿があまりにも変わっていたせいなのか、
床屋さんは、あまり常連時代の父を思い出せずにいるようだった。
けれども、帰り道、お店の前で車椅子に乗せられて帰る姿を見る目は
普通のお客さんを見送る以外の、何か違う気持ちがこもっているように見えた。
 
帰り道、「床屋のおじさん、透析やってるって言ってたね」と私が言うと
「半年前に来たときは、まだやってなかったはずだなぁ」と少し俯いた。
 
帰宅して、いつもよりも大人しく眠りに落ちた姿を見ながら
父は、ただ髪を切りたかっただけじゃなかったんだな、と考えた。