後悔している理由

にくまん食べたくなるくらい寒い


べつに嫌われてもいいと思っているひとに 「あんた嫌い」
などとと言われるのは、鼻に割り箸つっこんだろかオラ、
鼻かせよゴラ、などと軽くアタマにくるくらいで、なんの
こたあない実のところ。けれども、大事におもう相手に
「うざい」 的なこと言われるのはこたえます、みぞおちに。
にぶい痛みが、かれこれ5日間。その直前の大事件なんて
すでに望郷の彼方。ちちんぷいぷい並みにとんでった。


ほとんどの人々には、同じように丁寧に接することができる
いや、できていると信じているのだが、こと一部のやさしい方々には
つい甘えてしまう。うんそうだ、甘えてるんだねたぶん。


いちどだけ参加した心理学セミナーみたいなのの中で聞いた話。
ひとは心の中に
・ Parent(親の自我状態)=P
・ Adult(大人の自我状態)=A
・ Child(子供の自我状態)=C
の3つを持ち合わせているという。
それぞれは読んで字の如くで、それぞれどの要素が強かったり
弱かったりして、ひとりひとりものの見方が違ったり、
考え方が違ったりするとか、なんとかかんとか。(参考資料


そこですごく心に残っているのは 「Cで話しかけてきたひとに
Aで返したら、Cの相手は(つまらない人だな)って思うでしょう?、
じゃあAで話しかけてきたひとに、Cで返したら(アホちゃうか)
って思われてしまうかもよ」 っていう部分。だから相手の気持ちを
ちょっとだけ察して、PACのどれで接するべきかを知りましょうって。


当時、そういう専門用語はまったく知らなかったけど、
そうすべきであることはわかっていたような気がして。
自分はできるだけそういうふうに接してきたつもりだった。
だからいつも一緒に居て楽しいと感じたり、リラックスできる仲間は
皆おなじように、相手の気持ちを汲むことのできる人々だった。
むやみにCでずかずか入りこんでくるわけでもない、けれども
Cで騒いで遊ぶときは皆、Cだらけ。AのときはAだらけ。
だから私は友人ひとりひとりのことを大切に思っています。


ここまで書いて、ちょっと眠い。眠くなってきた。